永六輔語録

私が中学生の頃から、ラジオで親しんできた、永六輔さん。

永さんの仕事をここで解説するまでもなく、世界的大ヒット曲、坂本九さんの『上を向いて歩こう』の作詞家というのは、活動のホンの砂粒みたいな一部分であり、才能豊かで活動の範囲は多岐に渡り、昭和の大衆文化を築いてきた偉大なマスコミ文化人ですが、私にとっては人生を語ってくれるラジオマン。

その永さんの語録は膨大にあり、永さんの事を思うと、スラスラ、いくつか、「永語録」が出てきます。

生きているというのは‥?

生きているということは、誰かに借りをつくること。生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと

この言葉は、『生きているということは』 という、永さんとデューク・エイセスが歌う曲の歌詞に出てきます。
歌詞が全て文章になっています。

この歌詞をコピペしてしまうと著作権の問題があるので、このページには書きませんが、「永六輔 生きているということは」 で検索すると、沢山資料が見つかります。
素晴らしい歌詞です。

愛するということ

愛することの反対は、憎み合うことではありません。無関心になることです。

この言葉も本質を突いています。
確かに、「無関心」、「無視」は、その人のアイデンティティーを否定すること。
「愛」、以前のことだと言えます。

永さんは、書籍も沢山書いていて、「永六輔語録」はインターネットにも膨大な資料がありますので、永さんの“語録” はここでは並べません。
永さんは「障害者」という言葉が大嫌いです。
いわゆる健常者にとって「障害」になる者という見方が有ることを嫌っているのですね。

盲目より “眼明き” のほうが不便

盲目の歌手、「長谷川きよし」さんと永さんは、長谷川さんが少年だった頃からの付き合いですが、長谷川さんが盲目であることが全くハンデになっていない事をよくラジオで言っていました。
実際、長谷川きよしさんは、麻雀の名人でも有り、眼が見えないとは信じられないほどの“打ち手”だそうです。
盲目の津軽三味線奏者、「高橋竹山」をプロデュースして売りだしたのも永さんです。

昔、盲目の津軽三味線の名人、「高橋竹山」師の家を、「永六輔さん」が、夜、訪問した時、ご自宅は、電灯がついていないので、誰も居ないのか?と、思いきや、目のご不自由な高橋夫妻が出迎え、竹山師が、奥様に向かって、

     「おい、電灯つけてあげなさい。

      不自由な “眼明き” さんがいらっしゃったから・・」

と、おっしゃったそうです。
この時、永さんは、「眼が見えるほうが不自由」であることを認識したそうです。
闇夜の中では、眼が見えない人より、眼が見える人のほうが不便であり、竹山さんから見れば、自分の方が障害者かもしれないという話をしていました。